妖精は眠れない

あらすじ

「リツが夢を渡る妖精だからだ」――弁護士秘書として働く27歳のリツ。ある日突然、夢の中が異世界とつながって、彼女は17歳の美少女妖精になっていた! その存在はこちらの世界で幸運と平穏をもたらす神と同義らしい。妖精の定住化を望む異世界の人々。でも、その方法は、異世界人と○×△すること!? 夢で異世界トリップをするため、現実世界では睡眠不足で衰弱していくリツ。現実か異世界、どっちで生きるか選ばねばならぬ日が迫るなか、彼女の下す決断は? 愛する人は誰!?

キャラクター紹介

ill_01

リツ(平野律)

夢の中が異世界とつ
ながって、そこで17
歳の美少女妖精にな
った。現実世界では
27歳の弁護士秘書。

ill_02

アル(アルフォンス)

鬼神と恐れられる、
アマーリアガルド国
の将軍。リツが異世
界で心を許せる唯一
の存在になっていく。

試し読み

「……で、二日続けて何故来るんだ?」
「いつでも遊びにおいでって言ってくれたじゃん」
「何かあったら頼れとは言ったが――」
「細かいことは気にしないの! いいからほら、ちょっと足どけて」
 アルは若干迷惑そうにしていたが、気付かないふりをして私はアルのベッドの隅に座った。今日のアルはもう就寝前だったみたいで、既にベッドの中に入っての読書タイムだった。でも寝かせてやらないぜ。
「今日もアルに教えて欲しいこと、あるの」
「俺に大したことは教えられないが……」
 その言葉が体のいい断り文句だというのは分かっている。しかし、エマに聞けばマッティに聞けと言われ、マッティに聞けばはぐらかされ、レオには聞きたくないし、クロードもロロも何か違うし。となると、アル以外に適任はいなかった。
 私に引く気がないと悟ると、アルは大きな溜め息をついてから本を閉じ、サイドテーブルの上に置いた。
「要件は何だ」
 私はごくりと息を呑んだ。そして、このモヤモヤを言葉にして、アルにぶつけてみる。
「私、かわいい?」
 アルが硬直してしまった。しかし聞きたいことには違いないので、私は大人しく返答を待つ。
「……す、済まない、よく聞こえなかった」
 動揺した様子ではぐらかされそうになったので、もう一度アルの目を見て言ってみる。
「私、きれい?」
「…………」
 断じて、口裂け女の真似をしているわけではない。
「そ、それが今日の質問なのか?」
「そうだけど、そうじゃない。これだけだったら私ただの自意識過剰な女……」
 でも聞きたいことはかなり自意識過剰なことなのかもしれないけれど。そう思ったら急に恥ずかしさが込み上げてきてしまったので、乙女のように視線を手元に落とし、指と指を手持ち無沙汰に絡ませる。今の私、モジモジしていて滑稽だ。
「なんかさ、こっちの世界で色んな人に、いっ……言い寄られてる気がして。さすがにはっきり惚れたって言われたりあなたが欲しいとか言われたり、キスとか襲われかけたりとかしてると、私の気のせいじゃないよなぁって思ったり思わなかったりで……」
 たとえば、こんな話――つまり複数の異性から言い寄られている気がすると――を現実世界で兄に相談したとする。その結論は、きっと「はぁ?」と、ドスの効いた低い声で馬鹿にされるに決まっている。しかしアルは否定をしなかった。それどころか、「なんだそういう意味か」と、私の問いの意図に気付き、深く安堵した様子だった。
「それは当然だ。お前の勘違いではない」
「……どうしてそう言いきれるの?」
「リツが夢を渡る妖精だからだ」
 うん、分からん。
「ごめん、もう少し詳しく説明してくれない?」
「夢を渡って来る妖精は、こちらの世界に幸運と平穏をもたらすと言われている。しかし、夢を渡って来るってことはもう渡って来てくれなくなってしまうこともあるってことだ。そうなる前に妖精がこちらの住人になってくれるよう、我々は必死に手を尽くす」
「妖精がこっちの世界の住人になろうと思ったらどうしたらいいの?」
「こちらの住人と交わるんだ」
「……交わる?」
「そうだ」
「ま、交わる?」
「ああ」
 アルは淡々と告げた。けれどその言葉が場にそぐわないというか何というか、とにかく私には思いも寄らない言葉だったので、少しばかり固まってしまった。
「それって、その、男女の、あれ?」
「男女のあれだ」
 交わる。男女のあれ。……これ以上の隠語は不要だろう。
 要旨、私がこっちの住人になると、こちらの世界にハッピータイムが訪れると。そのために私をこっちの誰かに惚れさせて、えっちさせて、こっちの住人にしちゃえって。……そういうこと?
「マッティやレオやクロードやロロは、つまり、私の貞操を狙っているの?」
「ロロもか。……まぁ、言い方は悪いがそういうことだな」
 アルが頭をぽりぽり掻いた。私も頭をぽりぽり掻く。
「ちょっと待って。交わるってどの段階で成立する? 挿入? 射精? それとも出血とか? まさかペッティングってことはないよね」
「お、俺が知るわけないだろう……」
 それもそうか。しかし、昨日レオに襲われたこと。あの時そのまま犯されていたら、私は何も知らないうちにこちらの住人になってしまっていたわけか。そう考えると恐ろしすぎる。最後にお母さんの声くらい聞いておきたいよ。いやいや別にこっちの住人になるなんて決めていないけれども!
「安心しろ」
 私の顔がよっぽど不安そうに見えたのか、アルが言葉をつけ足した。
「誰も無理矢理リツを犯そうとはしないだろう。妖精が嫌がることをしたら、幸運どころか『禍』……つまり厄災が訪れるとも言われている。妖精の眠りを妨げることも禁忌とされているから、寝込みを襲われることもないはずだ」
 いやいや、レオには無理矢理襲われかけましたがね。なんて気軽に言えないので、苦笑いしておく。
「私がいることで訪れる幸運と平穏、具体的にはどんなこと?」
「幸運は、豊作や大漁、あとは発明や発見などだろう。平穏は、魔物の減少と弱体化」
「ま、魔物?」
 私は聞き返した。
「魔物なんてのがいるの?」
「いる。ここは王都の中心だからさすがに出ないが、少し外れへ行くと割とよく遭遇する」
「だからアルは、体に傷がいっぱいあるの?」
 昨日見た傷が頭をよぎった。鎮花祭の日、末端の仕事であるはずの巡回業務までやっていた彼のことだ、きっと戦いの場面でも自ら前に出ているのだろう。
「俺の未熟な証だ」
 アルはふん、と自嘲するように言い、すぐに目を逸らされてしまった。
 向こうの世界なら、私がいてもいなくても世界は回っていく。東堂先生も、私がいなくなれば次の事務局を見つけて何事もなく毎日が進んでいくだろう。
 でも、こっちは? 私がいたら、魔物は弱体化するという。数も減るという。命を脅かされる人が減るのであれば、私はこっちの誰かと一発やってしまって、こっちの住人になった方がいいのではないか。それがもしかしたら、『妖精』である私に課せられた、重要な役目なのではないのか。
 重要だからこそ、マッティやクロードやレオやロロや、……とにかく沢山の美男達が私に身体を差し出させようとしているのかもしれない。自らの欲のためではなく、国の、国民のために。
「気にするな」
 アルの声で我に返った。仏頂面の彼が、珍しく微笑んでいる。……ように見える。
「安易に決めなくていい。お前は自分が選びたい方を選べばいい。俺達は妖精がいなくても魔物を倒せるし、それを当たり前の日常としてこれまで過ごしてきた。リツが自分を犠牲にする必要はない」
「でっ、でも! 王族まで駆り出して私の攻略にかかってるんだよ? 沢山の人にとっては、死活問題になってくるんじゃないの?」
「お前はもともとこの世界の住人ではない。我々は自分達の都合でお前に元の世界とそれに繋がるもの全てを捨てろと言っているのだから、お前が納得できない限り安易に引き受けなくていい。お前も自分の都合で決めろ」
 住む世界が違うというのは、事実ではあるが敢えて言われると少し切ない。折角できた繋がりも、こうして育む友情も、全てを否定されているような気がしたからだ。
「うん。……ありがとう」
 それでも私は肯定することしかできないし、まだまだ元の世界への未練が圧倒的に強いのだ。アルの低い声は脆い地盤を固めてくれるように、足下のふらつきを支えてくれた気がした。

 出勤中、ぼんやりと考える。こんなに同じ夢を続けて見るなんて、どう考えてもおかしすぎる。夢の中に出てくる人みんな、私が夢を渡って来ると知っているのも、異様としか思えない。
 これで、なに。私が淫夢でも見たら? もうこっちの世界には帰れないってこと? ……馬鹿げている。そんなこと、あるはずない。そう思いはするけど、「必ず」なんてことも言えないわけで。
 幽霊も宇宙人も、私が遭遇していないだけできっといるんだと思っている。だったらこういう異世界トリップだって、あると思って然るべきではないのだろうか。

* * *

「二週間後、ベルジュラック王国のフレデリック・カルティエ=ブレッソン王子殿下がいらっしゃることになりました。そこで夜会が開かれますので、リツにもダンスを踊っていただきます。リツはダンスの経験は?」
「イージー・ドゥ・ダンササイズなら数回踊ったことがあるよ」
「イージー……何ですって?」
「いえ何でもないです経験ありません……」
 私、つまり妖精がこっちの世界に来たってことは、国内外を問わず周知されるらしい。周知された結果いくつもの国が私に会いたいとお手紙をくれたらしいけど、その中で一人だけ、一番仲の良い国の一番歳の近い王子が私に会えるという僥倖――自分で言うのも何だが――を摑み取ったのだそうだ。しかし、個人的には未だに自分の重要性というものをイマイチ掴みきれていないので、「え? 私に会いにくるの? イケメンをウ○コする系としない系に分ける私に?」と何だか申し訳ない気持ちでいっぱいなのである。申し訳ないというか、どちらかというと冷めている、というか……。
「ねえ。そんなことより私、マッティに聞きたいことがあるの」
「何ですか? 生年月日、好きな食べ物、好きな色。何でもご質問ください」
 私はごくりと唾を呑み込んだ。
「妖精って、なに? マッティが私を好きだと主張する意図は、どこにある?」
 いきなりの本題をぶっ込むと、マッティの顔が強張った。いつも絶やされることのなかった微笑みが、初めて彼から消え失せた。そして、苦しそうな、掠れた声で私に問う。
「何を、誰に、吹き込まれたのですか?」
「吹き込まれた……?」
 どうしてそんな教唆が前提のような、悪意がチラチラ見え隠れするような言い方をするのか。マッティの考えるところが分からない。マッティの硬質な表情が、少し……怖い。
「……こ、こっちの世界の誰かと交わることで、夢を渡る妖精はこっちの世界の住人になるって。……どうして教えてくれなかったの?」
 けれど、怖気づいてうやむやのまま終わらせる気にも到底なれなかった。二回聞いてどちらもはぐらかされてしまったのを、私は忘れてはいないのだ。
「誰にその話を……?」
「言いたくない。マッティが私に『愛している』って言ったのも、妖精の私をこっちの世界に縛るためだった? ……答えて」
 マッティは動揺を隠せないまま下を向いて、「彼の言う通りだ」と呟き小さく笑った。
「リツは、わたくしが思っていた以上に察しが良いのですね。大変なご無礼をお許しください。けれど、これだけは信じてください」
 マッティが近寄る。今のマッティは少し様子がおかしくて、何かの衝動を必死に抑えているように見えた。得体の知れない何かに危険を感じ、彼が一歩近づくごとに私は一歩後退したが、結局部屋の中なので、すぐに背中に壁が当たった。しかしマッティはそのまま近づいて来て。おや、これは壁ドンですか? 壁ドンですね、人生初の壁ドンでございます。
「リツ、愛しています。誰よりもあなたを、心から愛しているのです。それだけは、偽りのない事実」
「……で、でもっ」
 マッティの手が私の頬を撫でる。
「妖精のもたらす『福』と『禍』。あなたが知れば、わたくしの愛が疑われる。……それが恐ろしかったのです」
「そんなこと言って……でも」
 「ほら」と言って、マッティの顔が近づく。額にキスを一つ落とされて、ちゅ、ちゅ、と音を立てながらマッティの唇が少しずつ降りてくる。
「既にあなたは疑いだしてしまったでしょう?」
 マッティが目を細める。笑っているけどいつものような華々しさはなく、どことなく寂しそうで。
「妖精が渡って来たとの知らせを受けた時、妖精をこの世界に留め置くため、自らに恋をするよう仕向けるつもりでした。ですがあなたをひと目見た時、そんな目的はわたくしから消え去りました。一人の男として、あなたが欲しくてたまらなくなったのです」
「ん、マッ……待っ……」
 耳たぶを触られて、その手が首を撫でて。
「好きです。愛しています。リツが欲しい。あなた様の体と、心が欲しい」
 こんなに直情的な告白を受け、照れない女性がいるものか。顔が、耳が、体が熱い。
「ま、待って! 今昼間だしっ」
「では、夜まで待てばわたくしに捧げてくださると?」
「そういうことじゃなくてっ」
「リツだけを一生愛すると誓います。誰よりも慈しみ、誰よりも大切にして差し上げます。だから」
 鼻と鼻がぶつかるのを避けるように少しだけ傾けた顔が、私に迫ってくる。このままでは口づけを受けてしまう、と慌てて顔を背けた。が、マッティは諦めることなく彼の前に差し出された私の耳たぶにキスを落として、そのまま甘噛みする。
「あ……っや、マッティ……っ」
「可愛い声……もっと聞かせてください?」
 首筋に唇を擦りつけながら私のブラウスに手をかけて、一つずつボタンを外していく。私はもしかしたら再び蹂躙される危機にあるのかもしれない。けれど、どこか安堵している自分もいた。マッティにレオと似たようなことをされているというのに、私はあいつにされた時ほど嫌だとは思わなかったのだ。
 貞操観念的には、恋愛関係にない男性に触れられているのに嫌ではない、というのは異常な思考かもしれない。でも、今だけはそれでいいと思った。これ以上、レオに煩わされたくなかったのだ。誰かに触れられて拒絶反応を示すようになったとしたら、それは確実にあの男のせい。何故嫌悪している奴の影を背負わなければならないのか。あんな奴にされたことなんか、パアッと忘れて楽しく暮らすのが一番じゃないか。従って、マッティに触られても照れはするが手が震えたり叫びたくなったりしない自分の図太さに、ある意味誇らしさすら感じてしまった。
「ん……あっ、マ、っ……っっ!」
 しかし、だからといってこの状況を看過できない。首の付け根があらわになると、マッティは舌を這わし、そこに吸いついた。ぞわりと、体中の毛が逆立つようだ。
「……っ、マッティ!」
「っはぁ、……リツ、愛してる」
 違うマッティ! なぜ余計に興奮するんだ!
「……っ、やっ、やだっ!」
「リツが欲しい」
 レオに生活を左右されないのは良いことだ。さりとて、私はここでマッティにやられるつもりもない。そう思うのに、マッティを拒絶しようとした腕は簡単に頭上に括られて、私が顔を逸らしたら新たに現れた肌にキスを落とされ。
「私の、……意思は?」
 マッティの動きが止まった。私の呟きに、ようやく耳を傾けてくれたのだ。
「私を好きだと言うくせに、私の意思は無視するの?」
 マッティの囁く愛の背景には、やっぱり私をこの世界に留め置きたいという思惑があるのかもしれない。別に、それでもいい。自分のいる場所をより良くしようと動くことを、悪いことだとは思わない。
 でも、だったら。
「夢を見させる努力くらいして」
 マッティが息を呑んだ。数秒の間をあけて、ようやく私と距離をとる。
「ご無礼を致しました、……申し訳ございません」
 否定をしないマッティに、私は少なからず絶望した。踊らされていたのは私だけ。やっぱりマッティが好きって言ってくれるのは、妖精とコトを致すための口実だったか。マッティを男として好きなわけではないけれど、そういうのって、なんか、悲しい。空虚な関係ってことでしょう? 愛情ではなかったけれど、せめて友情くらいは、私達は育めていると思っていたのに。
 色々な思いが涙となって溢れそうで、私は「顔を洗ってくるから」と彼に背を向けた。洗面所のドアノブに手が触れた時、体に何かがふわっと巻きついた。……マッティの腕だった。
「……マッティ?」
「あなたへの想いは偽りのない真実です。だからどうか、わたくしがあなたを愛していることは疑わないで」
 後ろから抱きしめられて、彼がどういう顔をしているか私には把握することができなかった。けれどその言葉は、とても切実なように聞こえた。どれだけ緊張して、どれだけ瞳を潤ませて、どれだけ苦しそうな顔をしているか私には見えなかったというのに、それでも嘘のようには思えなかった。
 また、耳がかっと熱くなる。そして、その熱くなった耳に声が響く。
「いつか、あなたがわたくしに『初めて』を捧げてくださる時を待っていますから」

「……というわけだったんだよねー」
「色恋沙汰の相談は専門外なんだが」
 私は三日連続で、アルに愚痴を零しにきていた。
 もちろんマッティに何をされたのか、具体的には伝えてない。恥ずかしすぎて言えるわけがない。
 マッティに妖精について何故隠し事をしていたのか問うたところ熱い告白を受けて、チュウやら何やらされた。「下心が露骨すぎるのはアウト」と牽制したらそこでやめてくれはしたけれど、再び告白されて終わるという、何ともよく分からないオチを迎えてしまった、と。大体このくらいの大まかさでアルに伝えた。それに対する感想はまさに冒頭の通りであった。
 アルはあれこれ詮索してこないので、痛いところを突っ込まれたらどうしようとか、墓穴を掘らないようにするにはどのように言えばいいのかとか、そういった予防線を張る必要がない。だからこの世界で唯一、自然体で好きなように話せる相手だと勝手に認定していたのである。
「別にアルに的確なアドバイスを求めてないよ。アルなら静かに聞いてくれるでしょう? それがいいの!」
 眉間に皺を寄せ、何か言いたいことがあるようだったが、結局彼は何も言ってこなかった。私の馴れ馴れしい態度に不満を抱きつつ、それでもやっぱり聞いてくれるのだから本当にアルは優しい奴だ。
「どうしよう、マッティが好き好き言うのは本気なような気がしてきた。マッティって、冗談とかじゃなく私を好きなんだろうか」
「だから俺に聞かれても分からない」
「いやいや騙されちゃ駄目か。好きなふりして実は計算ってパターン、王道だもんね」
「俺は知らん」
「でも、もしかしたらそれを超える何かがあるとか?」
「……知らん」
 アルは聞いていないようで、実は聞いている。律儀に突っ込みを入れてくれる。こういうところを私はとても楽しく思う。
「お前はマティアスのことをどう思ってるんだ」
 ふと、アルが質問を投げかけてきた。色恋沙汰の相談は対象外と言っておきながら、しっかり乗ってくれているじゃないか。
「私が? マッティを? うーん……」
 確かに綺麗な顔だし、優しいし、時々男っぽくなった時はドキドキしてしまうけれど。
「ちょっと……年下はそういう対象に見れないんだよね。遠くから愛でる対象というか、弟みたいな気持ちっていうか」
 あれだけ甘い言葉を囁かれてもキスをされたとしても、どちらかというとお姉ちゃん面して甘やかしたい、という思いになってしまうのだ。想像にニヤニヤしていると、アルの視線を感じた。
「リツは十七と聞いたが? マティアスの方が年上だぞ」
 ああそうだった、そういう設定だった。ギクリとして、一瞬なんと弁解をしようか考えたけれど、アルになら話してもいいかもしれない。苦し紛れの言い訳をして、相手に不信感を抱かせてまで隠したいことでもなかったし。
「あの、アル。これ内緒にしておいて。私、実は二十七歳なの。恐ろしくサバを読んでるの」
 アルが固まった。驚愕というよりは、またこいつ変なこと言いだしたぞ、みたいに私を訝しむ顔だ。
「たっ確かに今の見た目は十七くらいなんだけど! でも、現実世界では二十七歳。だから心も二十七なの。ごめんこれ内緒ね? 多分みんな驚くし、私も見た目若いから、折角だしこのまま若い子ぶりたいし!」
「どうしてそれを俺に?」
「うーん……成り行き? アルってあまり人に色々喋らないでしょう? 信頼してるっていうか!」
 大きな手が混乱しているだろう頭をワシワシ掻くのをぼんやり見ながら、私は質問を投げかける。
「アルは何歳なの? 同じくらい? もう少し上?」
 まだ皺はないが、ピチピチでもない。将軍という地位にいるし、性格も穏やかだし。同じくらいか、少し上かなと思っていた。
「今年で三十三になる」
「そっか。だからマッティ達より落ち着いて見えるのかな、年の功ってやつで。アルが一番気負わずに話ができるよ。……ありがとう」
 照れ隠しにでへっと笑うと、アルも「そうか」とだけ言って、いつもの如くぷいっと横を向いてしまった。
「……でも、とにかく。皆が無条件に崇めてくれる『妖精』ってやつも、能天気ではいられないのが辛いところだね。はぁ〜レオもこんな気持ちになったのかなぁ。ちょっと可哀想なこと言っちゃったかも……」
「レオナール? 何故今あいつの名が出る?」
 ぽつりと漏らした言葉に、アルが反応する。
「ああ、うん。ほら、この前の鎮花祭の夜にね。私アルに会ったじゃん? あの時実はレオに強姦されかけてて」
「……は? ご……強姦?」
 あ、と気付いた時には、既に口から出たあとだった。本当はこんなこと話すつもりなどなかったのに、ついついポロッと言ってしまっていた。ちょっと気を抜きすぎたかもしれない。
 アルの眉間に深い皺が入った。慌てて私は目を逸らす。
「何でもない。本当に何でもない。眠たくなったからもう帰る。おやす――」
「リツ!」
 窓枠にかけようとした手を、アルがぱしりと横取りした。
「……どういうことだ、強姦? レオナールが、お前を……?」
「何でもないって」
「何でもないわけないだろう!」
「痛……アル、痛いっ」
 アルにとってはほんの少し力を入れただけかもしれない。でも、私にとってはギリリと骨が軋むのを感じるほど痛くて。思わずぎゅっと目を瞑った私を見て、慌ててアルは手を離してくれた。
「っ済まない、……折れてないか?」
「大丈夫、これくらいじゃ折れないけど」
 手を離してはくれたけど、視線は私から離してくれなかった。これは絶対、私が真実を言うまで解放してくれないだろう。どうしようもないから、私は笑って誤摩化そうとした。
「あ、あははは! いやぁ大丈夫! 大丈夫だったよ? 強姦されかけたっていうのは、ちょっと誇張しすぎただけで」
「何をされた?」
「……いや……だから――」
「何をされたんだ」
 どこもアルに掴まれてなんかいないのに、何故か逃げられない。さぞや訊問が上手いんでしょう、この将軍様は。
「何を、さ、れ、た、ん、だ?」
 再三の質問に、私は敢え無く陥落した。
「裏の路地に連れていかれて、後ろから抱きつかれた。……いろいろ触られた」
「……いろいろ、とは?」
「…………言いたくない」
「言いたくないことをされたわけか」
 アルが大きい溜め息をついた。空気が重い。水素は無理でも窒素くらいには軽くしようと、私は頬の筋肉を上げる。
「てっ、貞操は死守したよ! うん、大丈夫。それで、次の日会った時にまだ襲う気満々のあっちの自信満々男だったから腹が立っちゃって、『これまでにお前が同衾した女達はお前自身じゃなくお前の身分や金に惹かれただけだ』って、思いっきり蔑んだ物言いをしちゃったの。だから、それが今ブーメランになって私に返ってきた気がして……あはは、自業自得の凹み、っていうか!」
 アルが私の話をどういう気持ちで聞いていたのかは知らない。でも、とても低い声で「大丈夫なわけあるか」と吐き捨てた。暗い表情のままでベッドから足を下ろしユラリと立って、扉に向かって歩きだす。
「アル? ど、どこに行くの?……アル?」
「レオナールに会ってくる」
「……うそ、やめてよ」
「殺してくる」
 その言葉はアルの凶悪な顔には似合っていたのかもしれないけど、彼がとても辛抱強く温厚な性格だと知っている私には、酷く似合わないように見えた。……ちなみに、辛抱を強いているのは大抵私だ。よく変なことを言ってアルの反応を愉しんでいるから。
「お願いやめて!」
 アルの腕を掴もうとしたが、簡単に弾かれてしまった。じゃあこれならどうだ、と背中から体に手を回しても、私の体はただ引きずられるだけ。私は一旦アルから離れ、アルと扉の間にするりと体を滑り込ませた。扉にぺたりと張りつけば、私がどかない限りアルはこの部屋から動けないはずだ。
「出られない。そこをどけ」
「どかない。出なくていい」
「出る。……レオナールを――」
「何もしなくていい!」
 私は叫んだ。
「……なぜ泣く」
「護衛から外せないんでしょ? だったらもう放っておいてよ!」
 強姦された女性が被害を訴えるなら、何をされたか克明に警察に報告しなければならない。それが苦痛で泣き寝入りする者も少なくないのだ。第三者として話を聞いている分には「犯罪者は罰せられるべし!」と当たり前のように思っていたが、実際に自分が被害者になってみると、確かに誰かに言うのは非常に躊躇われてしまう。
「悔しいよ。私だって悔しいけど、でも、皆に知られたくないの!」
 アルにだって言うつもりはなかった。弾みで言ってしまっただけであって、レオを懲らしめて欲しいなんてちっとばかりも思っていないのだ。
「…………」
 アルは眉間に皺を寄せたまま私にくるっと背を向けると、ベッドに戻って乱暴に腰を下ろした。膝の間で両手を組んで、険しい顔で溜め息をつく。
「…………悪かった。お前の気持ちを忘れていた。……済まない」
 まだ苛々は治まっていないようだったが、それでも理性は取り戻したらしい。騒ぎにならなくてよかったと、私は安堵の溜め息を漏らした。
「……分かってく、くれた、なら、い……っう」
 「分かってくれたならいいってことよ!」と江戸っ子風に許して進ぜようと思ったのに、ほっとした拍子に私の目からは涙が溢れ出してしまった。小降りはすぐに本降りへと変わった。
「リツ? 大丈夫か?」
「ひぐ……っ」
 涙が止まらない。そして自分でも思うが、嗚咽が汚い。鼻水も出ている。できたら美少女らしく、綺麗に泣きたいのに。ウ○コしない系がどうだとか考えてる時点で既に手遅れなのか。
「な、何か飲むか?」
 こくこくと頷いた私をアルはソファに座るように促し、その間に水を入れたコップを持ってきてくれた。私はそれを受け取って、少しだけ口に含んだ。
「……ぬるい」
「我が儘を言うな」
「うん……ありがとう」
 アルの部屋にあるソファはやっぱり大きく作られているのか、私が座ると足が地面から浮く。そのままプラプラさせながら、私はぽつりと呟いた。
「何でもかんでも喋りすぎる私も悪い、……ごめん。ちょっとアルに甘えすぎたと思う」
 ぬるい水のおかげかもしれない。多分目の回りはまだ赤いままだったとは思うけど、涙も鼻水も止まって、気持ちも少し落ち着いた。勝手な親近感を得て気安く雑談をしに来ていたが、実際のところアルと会話をするようになったのは最近で、確固たる信頼関係を築いていると言えるほど時間をともにしてはいなかったのだ。今回は全面的に私が悪いのだと思う。距離を取り間違えたのだ。
 次に口を開いたのは、アル。「なぁ、リツ」と、躊躇いがちな低い声が耳に届く。
「俺も男だし、こんな見た目だ。……俺が、怖いか?」
 私はふるふると頭を振った。私の何倍も大きい体で、いつも不機嫌そうな顔で、ゴリマッチョで。でもレオとアルはちっとも被らないし、レオのことがなかったとしても、私はアルを怖いと思ったことはない。あるのは筋肉すげぇとか、「クマ」とかだ。そういや私の部屋のハルクって、どこかしらアルに似ているな。
 「そうか」と、息を吐きながらアルは言う。少しだけ顔の緊張がほぐれたように見えたのは、気のせいだろうか。そして私を見た。
「甘えてくれるのは別にいい。喋るのも構わない」
「……いいの?」
「ただし、無理はするな」
 もうここに来るのは控えた方がよいのかもしれないと、そう思ってすらいたのに、アルは私が甘える余地を作ってくれた。「無理」というのが何に対してなのかいまいちピンと来なかったが、感覚的には分かる部分もあった。
「……ありがとう。アルも何かあったら私を頼ってよね」
 少しだけ心がほっこりした。現実にもこういう友達がいてくれたらいいのに。笑顔をつくって全く膨らまない力こぶを見せつけると、アルがたまらず吹き出した。
「ふっ……ああ。頼もしい上腕二頭筋だな」
 多分、私の腕は全て込みでアルの骨くらいの太さしかないのだろうけれど。